乗りつぶしの記録4:四国1
1981年の11月に四国ワイド周遊券で巡った旅です。初の四国上陸でした。はっきりと覚えているのは宇高航路で食べたうどん、高知から大杉までの客車のスチームのハンマー音、小松島港で食べた竹輪です。途中下車印はA券の姫路、B券の徳島の2か所だけで、まだおとなしいものでした。この後もう一度四国へ行っていますが、予算本線の新線区間は未だに乗車できていません
1981年の11月に四国ワイド周遊券で巡った旅です。初の四国上陸でした。はっきりと覚えているのは宇高航路で食べたうどん、高知から大杉までの客車のスチームのハンマー音、小松島港で食べた竹輪です。途中下車印はA券の姫路、B券の徳島の2か所だけで、まだおとなしいものでした。この後もう一度四国へ行っていますが、予算本線の新線区間は未だに乗車できていません
1981年8月に山陰ワイド周遊券で巡った旅ですが、残念なことに一部の列車番号が欠けています。夜行普通列車山陰号を活用していました。その結果の一部がB券の途中下車印にでています。最後は加古川線→山陽本線→東海道本線で名古屋へ帰還していますが、そのルートから外れる鍛冶屋線、北条線、三木線、高砂線、飾磨港支線(加古川姫路間往復も)に関しては、その都度別に乗車券を買ったようです。青春18きっぷは翌年からの発売でした。
1981年6月に北陸ワイド周遊券で北陸地方を巡りました。夜行のりくら号は新聞輸送がメインで客は、おまけみたいなものでした。でも高校から帰宅して夕食を食べてから移動ができて、早朝の一番列車から有効に活動が出来るのはよかったです。周遊券のA券は周遊区間の最初の下車駅で回収されるものですが、私を含め多くの方が「前の駅で降りて回収された」・・・ということで手元に残したものです。当時のA券の回収率はどの位だったのでしょうね。この頃のワイド周遊券では特急の自由席には別途自由席特急券が必要でしたので、余計な出費が痛かったです。時期的に越美北線はぎりぎり車窓が見えたはずです。
注意:記載の時刻、列車番号はオリジナルのメモを後日書き直したものを、デジタル化したものです。内容が抜け、間違いの可能性がありますことをお断りしておきます。
いつもとは趣向を変えて、国鉄時代の全線乗りつぶしの記録の一部です。結局は国鉄時代は全線完乗はできず、JR になってからもできていません。会社別ではJR東海、JR九州が完乗できています。
まずは1980年の東北旅行です。高校1年の夏休みに東北ワイド周遊券を使って実行しました。この旅はホテルを使わず全行程を夜行列車を使って夜明かしをしました。記録が残っているのは上野からです。当時は名古屋に住んでいたので、名古屋-東京間は東海道線の普通列車を乗り継いで行ったと思います。そろそろ夜行列車全盛期は過ぎつつありましたが、それでも東北各方面に複数の夜行列車が走っていました。また旧型客車列車も残っていました。全く宿を取らずに乗り回し、風呂代わりにウェットティッシュ(大正衛生ぬれナプキン)で体を拭いて凌ぎました。当時は温泉はともかく銭湯の情報が皆無でした。最終地点が水戸ですが、これは祖母の家に行って風呂と洗濯をお願いしたのです。この後も東北・北海道方面では祖母の家が最終基地になっていました。さすがにこの後は長丁場の旅でホテル無しはやめにしました。
注意:記載の時刻、列車番号等はオリジナルのメモを書き直したものを、デジタル化したものです。内容が抜け、間違いの可能性がありますことをお断りいたしておきます。
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